女人成仏証拠之御名号

※女人とて 罪深きにあらず 助かりたる身なれば 怠らず毎日 如来に御礼致さるべきものなり(親鸞聖人)


(財)元興寺文化財研究所調査資料(平成20年度)

古文書(表紙)

古文書(由来1/6)

古文書(由来2/6)

古文書(由来3/6)

古文書(由来4/6)

古文書(由来5/6)

古文書(由来6/6)

古文書(裏表紙)


【参考】 「真実院大瀛(だいえい)和上伝

かたみの文

静かにおもんみれば
人間に生を感ずることは
上々の因縁によれり
これ大なるよろこびなり
されども若し仏法に逢はずば
枯木の春にあはざるが如し
よろこびの中にかなしみあり
たまたま人間に生まれたことに
仏法にあへる身は
よろこびの中のよろこび
何事かこれにしかむ
たまたま仏法に逢ふといへども
他宗の教は我等が身のうへには
かなひがたし
ここに真宗の教えは
末代つみふかき五障三従の女人を
本とたすけたまはんと
誓ひたまひし彌陀の本願を
すすめたまへば
ありがたしといふも
なお
おろかなるものなり
されば其本願をたのみて
浄土にまいらんと思ふについて
いかやうに心をもちて
たすかるべきぞなれば
何の様もなく唯我身は
つみふかきあさましき身ぞ
とおもひとりて
かゝるあさましき身を
本とたすけたまふ
弥陀如来の本願なれば
罪ふかき身ながら
御たすけにあづかることよ
と信じ奉りて
少しもうたがひの心なければ
必御助けにあづかるなり
此趣をしかと
思定めてうたがひなきを
たのむとも
信ずるともいふなり
御文章に曰く
かの仁体においてはやく
御影前にひざまづいて
回心懺悔のこころをおこして
本願の正意に帰入して
とあり
又曰く
この故に南無の二字は衆生の弥陀如来に
向ひたてまつりて
後生たすけたまへとまうす心なるべし
とあり
然れども
弥陀をたのむとて
絵像木像にむかひてたのむにもあらず
口にたすけたまへといふにもあらず
心のうちに御助け候へと
凡夫の念をおこすにもあらず
南無阿弥陀仏は本願の御呼声なれば
たすけてやろうと呼びかけたまへる
その御呼声をきいて御助けにあづかる事よ
と信じて後生の一大事を弥陀にまかせまいらせて
自力の計なきをたのむとはいふなり
此上はよきもあしきも皆前生よりの約束
業因のなすわざとあきらめて必ず神にいのり
仏にいのり其の外日の善悪をゑらび
方角の吉凶をとひ
天を拝み星をまつり
占にかかるなど
いまはしき心あるべからず
又さきだてる親兄弟の法事をいとなみたまふとも
先だてるものへ手向まいらするこころあらば
これみな自力なり親兄弟の命日にあたりて
法事を営みたまふときは
忌日命日を縁として仏に報謝のために
御供養をまうすと思ひたまふべし
たとひ
仏壇の掃除をするとも
花をたつるとも
香をたくとも
みな報恩とおもふべし
信のうへは何事も報謝と思ひたまふべし
我身だに仏にならば自由自在に済度なるべし
人のためとおぼしめさずとも
まづ我身の信心さだまりぬるや
いなやと思召して
自身の安心決定あるべきなり
いよいよ往生うたがひなくおぼしめす上は
報恩の称名をこたりなく御たしなみ肝要なり
此上は御本山の掟御公儀の御法度に
そむかぬやうに心をかけて
御身のつつしみ第一にしたまふべきなり
併し人によりて身のすぎはひについて
偽をいはねば身のたたぬ人もあるべし
其外腹もたち欲もおこるは常の事なれは
止めても止められぬことは仕方もなし
往生のためとてはやむるに及ばす
兎角あしき心のおこるは時はさてされ
浅ましきかな
かかる者も
御助けに預る事のありがたやと
却てこれを御縁とし
仏恩をよろこびたまふべきなり
身の行いはあしくとも
心さまはあしくとも
称名はうかばずとも
有りがたく思ふこころはおこらずとも
是では往生いかがとうたがふべからず
此者をたすけんとありて
あつく御苦労まします本願よと
安堵のおもひに住して御入候へ
我が安心かくのごとし
これをかたみと思召して
あけくれ御覧候へ
あなかしこ

大 瀛

母 上 さ ま