「だまされない極意」

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@、「あなたは、こうすれば必ずもうかる、または、あなたには不幸や病気が、
待っている。私の言う通りすれば、必ず救われますよ」
と、持ちかけられた時、「この世の中に、そんな、うまい儲け話や安易な救いなど、
ありえない」という知識が、頭にある人は、引っかからない。
「あなただけ、ボロもうけができる。あなたは、こうしなければ、絶対、救われません
よ」と、いうような話は、「今、宇宙人がUFOで、東京にやって来て、コンサートを
開いている。行って見ませんか」という、マユつばの話と、同じ事なのですね。
 あなたに、うまい儲け話や、不幸や病気にならない方法を、持ちかけられた時
には、「そんな、うまい話があるのなら、自分でやって下さい。私を誘う事はない
でしょう。私は、やりません」と言って、はつきりと拒否することです。

A、「これを買わなければ、または、セミナーや集会に参加しなければ、あなたは
不幸や病気になる」と、言われた時には、「私を脅迫する気ですか?」と言って、
そんな話を、聞かない事です。
また、「あなたの先祖の霊が、たたっている」などと、言われたら、「子孫に、たたりを
するとは、けしからん話だ。そんなやつは、私の先祖ではない」と言えば、いいのです。

B、あなたは、世の中の実態を、ちゃんと見てください。この世の中で、楽に、絶対もうかる
という話は、ありませんし、絶対、不幸や病気にならない方法もありません。
もしも、そんな話があれば、私なら、誰にも教えませんね。
相手は、あなたに利益を与えようという、親切心から、話を持ちかけているのではなく、
自分が利益を得るために、あなたを利用しょうと、しているだけです。

C、詐欺商法は、あなたのお金だけの、被害で済みますが、カルト宗教の場合は、お金
以外に、あなたの時間、エネルギー、生活、そして、人生すべてが、うばわれます。

D、「簡単な、だましのテクニック」(一例)
 素人投資家に、「株の神様」のようだと、信じこませる方法。
お客になりそうな相手に、電話して「投資して下さいとは申しません。大体、知らない人間の
口車に乗って、投資してはいけません。まずは、うちの会社の調査能力を見てください」と
言う。
そして、この相手に、2〜3の株について「近く値上がりする」という、情報を教えて、この予想
を的中させる。これを2〜3回、繰り返すと、相手はすっかり信用する。
では、どうして的中させるかと言えば、最初、600人に電話した時、300人には「値上がりする」
と予想し、後の300人には「値下がりする」と予想すると、どちらかが、的中する。
次は、的中した方の300人に、同じ要領で電話をかける。150人については、必ず的中する。
これを繰り返していけば、立ち続けに、予想が当たった人々から、評判が広がり、投資を申し込
んで来るカモは、あとを絶たない。

E、超能力者が登場する、テレビ番組で、視聴者に呼びかけて、動かなくなった時計を「念力で
動かせてみせる」という、番組があった事を、覚えているだろうか?
日本全国、数万人の視聴者が、動かない時計を取り出して、触っていると、偶然、動き出すものが
100個や200個はある。
その視聴者は興奮して、テレビ局に「動いた」と、電話して来る。もじどおり、電話が殺到し、あたかも
「いたるところで念力によって、時計が動き出した」かのような話が、出来あがってしまうのである。
確率の錯覚を利用した、簡単なものである。
人は、このような簡単なテクニックによって、だまされ、詐欺に引っかかったり、宗教の信者となる
のですね!

F、カルト宗教や一神教(絶対者一人のみ・教祖は神さま)の、恐ろしさ。
その信者は、自分たちだけが、絶対、正しいと信じている。これは悪魔より、おそろしい。悪魔は、
自分が「悪」だと知って、行動しているでしょうから・・・。
ところが、自分たちだけが正しい、と思っている人間は、どんな事でもできます。「正しくない人間は
許せない、抹殺すべきだ」という、悪魔にも思いつかないような、恐ろしい事が、平気で、できます。

G、結論
あなたが、詐欺商法やカルト宗教に、だまされない方法は、そのテクニックや知識を、家族どおしで、
つねに学び、話し合うことですね。
お年寄りが「いたわり」という名目で、家庭や社会から、居場所を奪われたり、子供が「勉強」という
理由で、家庭の一員としての役割(家庭内での、仕事の分担)を、与えられていないのが、現実では
ないでしょうか?
これからは、学校の勉強よりも、自分のために役にたつ知識(あなた自身への投資)を身につけ、
人間としてのルールを、真剣に学び、話し合っていかなければ、ならない時代ですね!

H、要注意宗教の見分け方!(オウム対策弁護団による)
A、ニセ・ボランティア、ニセ学生になりすます。
B、回りのふんい気を利用して、暗示をかけたり、「あなただけに、お教えします」などと言って、
上手に誘いをかける。
C、違う内容で誘っておいて、後から宗教を持ち出す。
D、戦争・地獄・たたりなどで恐怖心をあおる。
E、霊能力があるように見せかけて、信用させる。
F、「会費が安い」「必ず幸せになる」など、甘いことばで近よる。
G、世界の有名人やタレントを持ち出し、専門用語を連発する。
H、「よ〜く考えて」と言いいながら、入会を急がせる。
I、多額の買い物や寄付を要求する。
J、教祖や幹部がぜいたくをし、短かい間に、りっぱな建物ができる。
K、一般の新聞やテレビの情報を否定し、会員だけにしてしまう団体。


全商連ホームページ…立命館大学国際平和ミュージアム館長・安斎育郎より

金縛りの学問的解釈 ストレス解消の巻

  就寝中に身動きがとれなくなるいわゆる「金縛り」現象を体験した人は少なくないだろう。
 私も何度か金縛りを体験したが、一番恐ろしかったのは、1978年5月にニューヨークの
 ルーズヴェルト・ホテルでかかったときだ。国連の軍縮問題特別総会の関係で、月曜日から
 金曜日までに合計13時間しか睡眠が取れなかったのだが、そのくせ日本のNGO代表団の
 広報担当としての任務意識だけはおう盛で、身を粉にして動き回っていたのだが、金曜日の
 朝5時過ぎ、その日に配る新聞を作り終えたところでベッドにごろんと寝た直後、ひどい金
 縛りにかかった。体は全く意思に従わず「ピクリ」とも動かないのだが、頭では、「今こん
 な格好で寝ている場合ではないのだ」という思いにとらわれ、自分が今どんな格好で寝てい
 るのか、斜め上から自分を見下ろしているような、よく言われる「幽体離脱」のような幻覚
 も体験した。
  金縛りが解けて医師に見てもらったら、「君の心臓は震えているだけだ」と言われ、休養
 を勧められた。
  金縛りは、もちろん「霊の祟(たた)り」などではないが、思春期の青年たちを含めて、
 そう信じている人は少なくないようだ。私の講演会でも、心配してそのように質問する受講
 生もいる。
  東京都神経科学総合研究所の故・宮下彰夫氏らの研究によれば、金縛りは「睡眠生活の乱
 れ」と「精神的ストレス」の重なりによって起こる現象であって、霊の祟りでもなんでもない。
  大学生の金縛り体験率は平均43%だが、男が39%なのに対して女は51%。初めての
 金縛り体験は14歳〜18歳の思春期に集中している。金縛りを一度も体験したことのない
 学生と、2回以上の金縛り体験のある学生を比較してみると、金縛り体験群の学生には、睡
 眠のリズムが不安定、眠りが浅く夜中に目覚めやすい、起床後も睡眠に不満が残るなど、睡
 眠生活の乱れを感じている人が多いこともアンケート調査の結果で示された。 同じ傾向は
 、私が1991年12月に山口大学での集中講義受講生に対しておこなった調査でも示された。
  日本での思春期は、多くの青年たちにとって受験期と重なっており、夜を日に継いだ学習
 で睡眠時間は乱れ、思春期特有の性や人間関係の悩みも重なって、精神的なストレスも強く
 なりがちだ。
  深刻な精神的ストレスがある場合には、恐ろしい幻覚を伴う重い金縛りにかかる。闇に白
 い「幽霊」を見る幻視や、不気味な足音が聞こえる幻聴などに悩まされる例は珍しくない。
 被暗示性の強い人の場合には、何度か金縛り体験を繰り返すうちに、同じような状況に置か
 れると、「また金縛りにかかるのではないか」という心理状態に陥り、自己暗示に導かれて
 金縛り状態に導かれていく。
  宮下氏らは、学生を睡眠の乱れとストレス下に置くことによって、人工的に金縛りに陥ら
 せることができることも見出した。
  金縛りを避けるためには、規則正しい睡眠生活を送り、過重なストレスを蓄積しないこと
 が必要だが、多くの人にとってそんな生活は可能ではない。人はだれでも大なり小なりスト
 レスにさらされている。
  精神医学者の中沢正夫氏によれば、ストレスはウンコのようなものだそうだから、便秘の
 ように溜め込まずに、適切に処理する自分なりの方法をもつことが大切だろう。
 宮下氏らのアドバイスでは、就寝時の体位という面から言うと、「仰臥(ぎょうが)姿勢
 (仰向け)」ではなく「横臥(おうが)姿勢(横向き)」に寝て、体にやや緊張感をもたせ
 た方が金縛りに陥りにくいという。お試しあれ。

明覚寺系列詐欺事件 裁かれた霊感の巻

  1995年春、高野山を本拠地とする宗教法人・明覚寺グループの「霊視商法」被害が問題
 となった。明覚寺は、すでに「霊感商法」で問題となっていた本覚寺グループの一員である。
 経営不振のある女性は、明覚寺系列の開運寺で「前世で人を殺している」と言われ、祭祀(さ
 いし)料65万円を要求された。さらに、「先祖に水子(みずこ)がいる」と言われ、供養料
 100万円を要求されたが、「すぐには払えない」と答えると、「そんなことで済む問題だと
 思うのか」と脅されて全額を支払わされた。
  兵庫県西宮市に住む40歳代の女性は、明覚寺系列の大運寺で家系図を書くように言われ、
 水子供養料や神社建立費用として約5500万円を支払うよう要求された。
 別のケースでは、仏像代として7500万円をだまし取られたが、払えない者の中には街頭で
 のビラ配りをさせられた者もいた。
  阪神大震災で家が全壊した兵庫の主婦は、家族のことなどを明覚寺グループに相談したとこ
 ろ多額の金額を請求された。家の再建で金が必要だと言うと、「家族と家の再建とどちらが大
 事か」と問い詰められ、約165万円を支払わされた。
  1996年2月、大阪・兵庫の主婦ら14人が、明覚寺およびその関係者を相手に総額58
 50万円の損害賠償を請求する訴訟を大阪地裁に起こした。折から、東京地裁で係争中だった
 同種の損害賠償請求訴訟が和解し、寺側は5億1000万円を支払った。
  本覚寺グループの霊視商法被害は1991年ごろから急増した。「相談料3000円」とい
 う宣伝文句に誘われて霊視鑑定を依頼すると、祈祷(きとう)料や供養料などの名目で多額の
 金品を要求される。批判を受けた寺側は宣伝のフレーズを「相談料・お布施として」と書き換
 え、「仏教の体裁」をつくろい、その権威を新たな詐欺行為に利用した。
  本覚寺は、「大日如来を本尊として真言宗祖の教義を広めることを目的」として掲げた宗教
 法人で、1987年に茨城県知事の認証を受けて大子町に設立された。「真言宗祖」とは弘法
 大師空海のことである。管長の西川義俊氏は大学卒業後、大手製薬会社の営業マンを経て、避
 妊器具などを扱う訪問販売会社を設立。やがて千葉県野田市を本拠地に曹洞宗の寺とタイアッ
 プして「水子菩薩像」を販売して蓄財した。西川氏は、これと並行して京都の真言宗醍醐(だ
 いご)派の寺院で修行し、ついに「修験道教師」の資格を得て得度した。
  やがて、日本仏教指導会を開設して「仏教商法」に身を染め、87年、醍醐寺の末寺として
 設立した本覚寺を本山として、関東各地に昇運寺・法輪寺・迎春寺・実証寺・春光寺・明星寺
 ・幸福寺・光明寺などの道場を開設した。これらはいずれも宗教法人格を持たず、霊感商法の
 営業所だった。いわゆる「霊能者」には、避妊具の訪問販売員が扮した。
  1988年、本覚寺は醍醐派を離れ単一寺院として独立、仏壇・仏具販売の別会社「コスモ
 ユニ」を設立して収益部門を切り離し、巨額の財産を築いた。西川管長は、「宗教は最大のビ
 ジネス」と公言して憚(はばか)らない人物で、関東での損害賠償請求訴訟が相次いだため活
 動を一時中断したものの、「休眠状態」にあった明覚寺を買収して西日本に進出、被害を関西
 地区に拡大していった。訴訟は、関西でも原告側が基本的な勝利を収めた。
  本覚寺・明覚寺グループは、伝統仏教が培ってきた「宗教的権威」や、僧侶の「かたじけな
 さ」を悪用した詐欺集団である。96年2月1日、明覚寺グループの満願寺(名古屋市中区)
 の霊視詐欺商法が契機となって、西川義俊前管長以下6人が愛知県警捜査本部に逮捕された。
 オウム真理教事件とともに、仏教に名を借りた反社会的事件だった。

オウムに批判された  無言電話攻撃の巻

 1995年3月20日の東京地下鉄サリン事件の日、私は、被爆問題国際シンポジウムの準備
 のために上京し、あの地下鉄に乗るつもりでいた。タクシーに乗って会議場に向かう途中、慌
 ただしく走る化学消防車や救急車とすれ違った。とんでもないことが起こっていた。
  私はオウム真理教団を批判していたが、逆に、事件の半年前にはオウムの機関誌『ヴァジラ
 ヤーナ・サッチャ』誌上で「超能力批判の急先鋒」として早稲田大学の大槻義彦教授とともに
 名指しの批判を受けていた。やがて、わが家も差出人不明の配達物や数カ月にわたる深夜の無
 言電話に悩まされることになったのだが、その後、次々と奇怪な反社会的事件が起こり、真相
 究明は世紀を越えて今なお継続中だ。
  多くの記者が私に最初に聞いたのは、「なぜ高学歴の研究者たちが、オウム真理教のような
 非理性的な教団に心傾けたのか」という質問だった。私は、少なくとも六つの理由があると思
 う。
 第一の理由は、科学的真理の普遍性の問題だ。要するに、「2+3は東大でもオウム第7サ
  チアンでも5」ということだ。だから、科学者から見れば、思う存分研究ができる条件があ
  れば、何も大学にこだわる必要はないのだ。真理に肉薄できる条件さえ与えられれば大学に
  こだわる必要はなく、富士山麓第7サチアンでも構わないのだ。
 第二の理由は、大学の若手研究者は、必ずしも自分でやりたいことを自由にできる立場にない
  ため、疎外感をもちやすいということだ。研究室の主任教授が掲げる大きなテーマの枠組み
  に組み込まれて、歯車の一枚を営々と回し続けることを求められることも少なくないから、
  課題意識が明確な意欲のある若手研究者ほど疎外感にさいなまれやすい。利潤追求を求めら
  れる企業研究者の場合も、真理の追究という面で疎外感にとらわれる可能性がある。そうし
  た疎外感が科学者を大学や研究所から追い出す「押し出し要因」として作用した。
 第三の理由は、オウム教団が、第7サチアンの威容に象徴されるように、科学・技術の研究施
  設に多額の金を投入したことだ。これが、大学や企業研究所で疎外感にさいなまれている科
  学者たちをオウムに向かわせる「引き寄せ要因」として作用した。
 第四の理由は、「人生、どう生きるか」という問題に関係している。若い研究者の中には、
  自分が研究者として生きる価値とは何なのか」について悩んでいる人が少なくない。まじめ
  なほど、惰性で日常に流されるような生き方に疑問を感じ、焦燥感にさいなまれがちだ。麻
  原彰晃教祖は、「君の優れた研究能力を衆生を救済するために役立ててみないか」と研究者
  たちにアピールした。それは、研究者がオウムに身を移す大義名分となった。
 第五の理由は、オウム真理教に心寄せた研究者たちは「教祖は超能力で宙に浮く」ことを証拠
  もなく安易に信じたり、サリン製造の実行犯・土谷正実被告のように「アストラル音楽が『
  神の声』であることを科学的に証明する」と書いたりするように、超能力や心霊現象に心傾
  けやすい資質をもっていたと思われることだ。私を批判した『ヴァジラヤーナ・サッチャ』
  の記事にしても、「空中浮揚が超能力でできないことを証明せよ」と主張するなど、オカル
  トそのものだった。
 第六の理由は、いったん教団に足を踏み入れた研究者は自由を完全に奪われ、さまざまな強制
  力をもって教団に呪縛されたということだ。拉致(らち)・監禁・暴力・薬物投与・無間
  (むげん)地獄脅迫など、麻原彰晃教祖に反逆しようものなら、場合によっては命を奪われ
  るという恐怖の絶対服従体制が敷かれていたのだ。自由のないところに主体性はなく、主体
  性がなければ教祖の乱心にも無批判に従属することになるのだ。

予言はなぜ当たるか 後付バイアスの巻

 「一九九九年七の月/恐怖の大王が空から来て/アンゴルモアの大王を蘇らせる/前後に火星
 が幸福に統治する」‐これが「ノストラダムスの予言」だ。これを読んで「1999年7月に
 地球は滅びる」と思い込むには、想像力が必要だ。ある大学で「ノストラダムスの大予言につ
 いてどう思うか?」を書かせたら、「私はノストラダムスを信じるので、私の人生も1999
 年7月で終わるものと考えています。せめて今の内に楽しく暮らしたいものです」と書いた学
 生がいた。だからこそ、オウム真理教の「1997年ハルマゲドン説」に心傾けた若者が30
 万円もの大金を払って石垣島のセミナーに参加したのだ。
  16世紀の人間が20世紀のことを予言できる根拠はない。ノストラダムスの詩を難解にし
 ている原因には、
 (1)押韻、
 (2)異端者扱いを逃れるための表現、
 (3)博学を自慢するための難解な表現
 (4)「カバラの暗号」という解釈、などがある。
(4)は、アルファベットに数字やシンボルを当てはめて聖書などを解釈する伝統的な秘法で、
 「ノストラダムスの詩」の解釈を非常に神秘化した。裏の意味を探る方法はどんどん複雑化し、
 15世紀末には、この方法で聖書を読み解く「キリスト教カバラ」をローマ法王も認知した。
 ノストラダムスもこの手法に通じていたので、彼が書いた詩ならカバラの手法を使っているに
 違いないという憶測を呼んだのだ。ついには、句読点や節の区切りを取って文字を再配置し、
 縦・横・斜めと綴り合わせて意味のある言葉を探す方法も開発され、「フセイン」と「クリン
 トン」が十字形に交わったりする「発見」を可能にした。コンピュータの発達で解読は急速に
 能率をあげ、ノストラダムスの文章からどんな終末論でも導き出せるようになった。
  人間は、「こうなって欲しい」とか「こうなる筈だ」という思い(自己成就予言)をもつと、
 その思いに合う事実だけが心に印象づけられ、不都合な事実には関心を振り向けないという心
 理的なバイアス(偏り)が生じる。「虫の知らせ」や「予知夢」の場合もそうだ。「Aが起こ
 る」という夢を見たら、実際に「Aが起こった」。だが、「夢を見たのに何も起こらない場合」
 や「夢を見ないのにその現象が起こる場合」もあるのだ。病気の母の夢を見たら、数日後に母
 親が死んだ‐こんなとき、人間は、「あれが虫の知らせだったのだ」と考える。いわゆる「回
 顧性の予言」で、「後づけバイアス」とも呼ばれる。 以前、「手かざしヒーリング・パワー」
 で有名なタカツカヒカル氏に、こんな話を聞いた。被験者に「本気にパワーを送る場面(X)」
 →「形は同じだが、パワーを送らない場面(Y)」→「再び本気にパワーを送る場面(X)」
 という順でビデオを見せると、効果が「強い」→「弱い」↓「強い」と変化したので、ヒーリ
 ング・パワーは証明されたというのだ。だが、これは、「ヒーリング・パワーは効果がある」
 という自己成就予言が原因で、実際は、X→X→X、X→X→Y、X→Y→X、X→Y→Y、
 Y→X→X、Y→X→Y、Y→Y→X、Y→Y→Yの全部の組み合わせを比べ、違いを調べる
 必要がある。自己成就予言は、「こっくりさん占い」や「動物の超能力」や「ダウジング」な
 どにも関係している。
 「天から恐怖の大王が降りてくる」の意味を巡って、いろいろな解釈があった。「1999年
 7月」を前に言われていたことの一つは「惑星が地球を中心に巨大な十字形を構成するグラン
 ド・クロス」だが、そんなことはこれまで何度もあったが、何も起こらなかった。第二には、
 土星探査機「カッシーニ」が地球の引力を利用して勢いをつける操作の過程で大気圏に突入し、
 電池の原料であるプルトニウムが重大な環境汚染をもたらすという解釈だったが、カッシーニ
 は何事もなく土星に向かって行った。こうして1999年7月は、「天から恐怖の大王」が降
 りてくる気配もなく、平穏に過ぎて行った。

八百屋お七放火事件  怖い丙午(ひのえうま)迷信の巻

 「鬼門」などの方角の吉凶に加え、日本には、「丙午」や「六曜」など、年月や日時について
 の迷信も残っている。柳田国男の『民俗学辞典』では、「迷信」とは「社会に甚だしい実害を
 及ぼす俗信」とされているが、「俗信」とは「科学的な検証を経ていないのに信じられている
 知識」のことだ。「丙午生まれの女は夫を殺して火つけをする」という迷信は、時には結婚を
 断る理由にされてきたこともあり、まさしく「迷信」の部類に属すると言ってよい。
  干支(えと)と陰陽五行を対応させる古来の考え方によると、「丙」は「火の兄(え)」、
 「午」は「火」、つまり両方とも「火」に当たるので、「丙午の年は火事が多い」とか、「丙
 午生まれの女は性格が火のように強いから嫁にするな」などと言われていたが、江戸時代にな
 って「夫を食い殺す」にまでエスカレートした。この迷信が広く普及したのは、「八百屋お七」
 の悲恋物語が戯曲化されてからだと言われている。
  実説によると、徳川五代将軍・綱吉の世の1681年(天和元年)、元加賀藩足軽・八百屋
 太郎兵衛が火事で小石川圓乗寺に避難、娘のお七が寺小姓の佐兵衛と恋仲に落ちたのがそもそ
 もの発端だった。やがて新居に移ったものの、佐兵衛が恋しくてならない。そのころ、お七の
 家に、素行不良の果てに親から勘当されていた駒込吉祥寺の門番の伜・吉三郎が出入りしてい
 たが、失意のどん底にあるお七に「家が焼ければまた佐兵衛に会えるじゃないか」と焚(た)
 きつけた。吉三郎のねらいは、火事のどさくさまぎれに家財を盗むことだった。
  強風の夜、お七は物干しに火をつけたが、侵入した吉三郎が御用となり、拷問の果てに「火
 つけの下手人はお七」と告げたために二人とも火あぶりになった。お七は1666年の丙午生
 まれで、罪状は放火。井原西鶴がこの事件をモチーフに『好色五人女』という戯曲を書き、歌
 舞伎などで全国で上演されるようになってから「丙午生まれの女は夫を道づれに火あぶりにな
 る」という迷信が広まり、六代・七代将軍の時代になると「丙午生まれの女は夫を食い殺す」
 までエスカレートした。丙午の前年に身ごもったりすると、「このままでは丙午の子が生まれ
 る」と強制流産を企てたり、それでも生まれてしまった場合には密かに子殺しが行われたりし
 た。迷信は、時に命を奪いとる凶器ともなるのだ。
  日本で現在のような「太陽暦」が採用されたのは1873(明治6)年だ。月の満ち欠けに
 基づいて作られていた従来の暦(太陰暦)には「日の吉凶」が印刷されていたが、明治天皇は
 太陽暦の採用に先立って「暦に勝手な解釈をつけてはならない」という太政官布告を出した。
 前近代的・非合理的な因習をいつまでも引きずっているようでは、日本の近代化はできないと
 考えたのだろう。1906(明治39)年の丙午の年には、もはや江戸時代のような狂気の沙
 汰は起こらなかった。
  だが、時代が下がって1966(昭和41)年の丙午の年には、丙午迷信がまたまた息を吹
 き返し、出生率を有意に下げた。前の年とその年に結婚した若夫婦が「丙午迷信」の影響を受
 けて生むのを控えたのに加え、その年の年始・年末に生まれた子の出生届けを前年あるいは翌
 年におこなったケースもあったようだ。1966年の出生数は136万人だったのにたいし、
 前年は182万人、翌年は193万人だった。科学の国・日本では、いまだに「丙午」の年に
 は出生届け数が40万人〜50万人も減少するのだ。
 当時、私は東京大学医学部で「生まれた子どものうち10歳までに小児がんにかかる割合はど
 れくらいか」を年度を追って調べていたが、1965〜67年の出生数が不正確になってしま
 ったために、研究に重大な支障が出た。迷信は科学研究の敵でもある。

演歌血液ガッタガタ  反人権的迷信の巻

  日本には、血液型と性格の間に関係があるという信念が広く行き渡っている。カラオケには、
 岡本圭司作詞・ベートーベン鈴木作曲『演歌・血液ガッタガタ』という歌まである。しかし、
 血液型研究には、人種差別や軍事研究とかかわった暗い歴史があるのだ。
  1894年の日清戦争後、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は「黄禍論」を唱え、黄色人種を抑
 えるべきことを主張した。1901年、オーストリアのラントシュタイナーがABO式の血液
 型を発見したが、当時、ヨーロッパ人はアジア人より「A型」が多く、アジア人はヨーロッパ
 人より「B型」が多いとされた。また、フォン・デュンゲルンは「チンパンジーにはA型が見
 られるが、豚はB型」と報告し、「A型の方が優秀」という主張もなされた。これは、ヨーロ
 ッパ人の優秀性を主張するには好都合だった。ABO式の血液型は、民族差別の尺度として使
 われたのだ。こうした差別的人種観は、やがてヒトラーによって極限にまで拡大された。ヒト
 ラーは「人間には『生きる価値のある人間』と『生きる価値のない人間』がある」と考え、後
 者に分類されたユダヤ人や精神病者が大量に殺された。
  血液型は、日本でも戦争と結びついた。第1次大戦後の世界は、2千万人の犠牲者を出した
 反省の上に、平和と軍縮に転換しつつあった。
  しかし、日本は、1917年のロシア革命の混乱に乗じてシベリアに出兵し、対外拡大政策
 を進めていた。後に自民党総裁となった石橋湛山(たんざん)もこれを批判し、政府もシベリ
 アから兵を引いたが、その結果、軍の士気が低下し、自殺する軍人まで出た。陸軍上層部は、
 血液型で軍人としての適性を判定する可能性を探るため、軍医に研究を命じた。さっそく血液
 型と軍務成績の関係について調査がおこなわれた結果、B型が優秀という結論が導かれた。や
 がて、血液型によって強い軍隊を編成する構想も出されたが、1931年の「満州事変」で、
 それどころではなくなった。
  そのころ、古川竹二が『血液型と気質』を著し、職業や結婚相手選びにも血液型が役に立つ
 という迷信をふりまいた。古川は民族の積極性を血液型で判定する「民族性係数」を定義し、
 「ドイツ民族は積極的・進取的」などと主張したため、ヒトラー政権下のドイツでも高く評価
 された。
  しかし、科学的には問題だらけで、朝日新聞の「天声人語」は、「血液型と性格の関係は学
 問的価値が全くないのに、それを結婚や就職に使うなどは、丙午(ひのえうま)の迷信どころ
 ではない」と厳しく批判した。やがて、「外交官にはO型が向く」という外務省嘱託医の建白
 書まで出され、霞ヶ関の一課長がO型でないのを苦に辞表を提出した。
  血液型はABO式以外にもe式、q式、s式、Rh式、MNO式、白血球や血小板の血液型
 など60種類以上もある。すべての血液型が完全に一致する確率は、6千億分の1以下だが、
 日本人はABO式で四つに分類して遊ぶのが好きだ。ABO式の血液型はみんな知っているし、
 人間4種類ぐらいに分類できそうな気がするからだ。
  実は戦後、「血液型と性格の間には言われているような関係は存在しない」という学会報告
 があったのだが、1960年代に『血液型性格判断』という本がミリオン・セラーになったこ
 とから「血液型迷信」が日本列島を駆け巡った。1970年代には採用人事に血液型を使う企
 業が現れ、1980年代には血液型でクラス分けする保育園まで現れた。『演歌・血液ガッタ
 ガタ』でも「B型人間は大胆不敵」ということになっており、B型の園児服を着た子どもがメ
 ソメソ泣いていると、「B型のくせになんですか」としかられるというわけだ。なんと非人間
 的な!
  東京のある大学での調査では、「血液型と性格の間には関係がある」と考えている学生は差
 別意識が強い傾向が示されたという。血液型で人間を決めつける考え方が、「朝鮮人だから」
 とか「黒人だから」という差別的人間観に通じるのだろう。

占い師としての経験  危うい満足感の巻

  何年か前、京都で2日間占い師をやってみた。私の占いの基本方針は、四柱推命と西洋占星
 術を通じて、人々を励ますこと。客は206人。いつ大学を首になっても大丈夫だ。先が不透
 明だと人間は不安になる。不安になれば何かに頼りたくなる。占いは「神頼み」や「まじない」
 や「ジンクス」ともども、不安を軽減させる方法として用いられてきた。
  先行きが不透明なままに意思決定を迫られたら、信頼できる友人や親・兄弟に相談して決め
 るとか、人生経験豊かなベテランの占い師に相談して決めるとか、サイコロを振って決めるな
 ど、いろいろな方法がある。そうした方法の一つとして「占い」を利用しても構わないが、占
 いとのつきあいにはおのずから「節度」が必要だ。高額の見料を支払った有名な占い師に「運
 勢が悪い」と言われた高校生が自殺を図ったなどと聞くと、心配になる。
  占いの本質は、(1)「話を聞き出す豊かな会話術」と「鋭い人間観察力」と「人の生き方
 についての豊かな経験に基づく推定」(=合理的側面)と、(2)個々の占いに固有の偶然的
 な要素に基づく推定(=非合理的側面)、の二つを結びつけて人生コンサルタントの役割を果
 たすということだ。評判の高い占い師は、(2)だけでなく、(1)の「人をみる目」をもっ
 ている。コンピューター占いは(2)は得意だが、(1)はベテランの占い師にはかなわない。
 しかし、占い師も万能ではないので、占いとのつきあい方は「判断の参考にする」というのが
 限度だ。占いは「心の安らぎ」や「開運」のためにやるのであり、占いに絶望して自殺するな
 どというのは最悪だ。人生は主体的な努力によってこそ開拓すべきものだろう。
  例えば西洋占星術は、「人が生まれた瞬間、運命を決める10個の星(太陽・月・水星・金
 星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星)がどこに位置していたか」によって運勢を
 占う方法だ。天王星が発見されたのは1789年、海王星は1846年、冥王星にいたっては
 1931年だから、それ以前はこれらの星は運命に無関係だったことになる。西洋占星術には、
 ロマン溢れるギリシャ神話が結びついている。例えば私は「牡羊座」だが、これには、干ばつ
 対策に捧げられた二人のいけにえを勇敢な羊が救出する物語が結びついている。この羊は勇敢
 である反面、独りよがりで、余りにも速く天に駆け登ったため、背中のいけにえが振り落とさ
 れても気がつかない。その結果、牡羊座の人間は、「積極果敢、人のために率先して奉仕する
 が、時に自己中心的で、他人の迷惑に配慮ができない独りよがりな面をもつ」ということにな
 る。西洋占星術が若い女性に人気があるのは、「夜空の星」と「ギリシャ神話」という二つの
 ロマンチックな要素が関係していると思われる。5000年の伝統の中で内容が複雑になり、
 使われる術語や記号も洗練されて美しい。加えて高度な天文学の知識が土台にあるという気分
 も高尚感を醸し出している。
  しかし、いかに複雑でもしょせんは約束事。星座と運命が無関係なことは、アメリカの「超
 常現象科学調査委員会(CSICOP)」が大規模な調査に基づくコンピュータ分析で明らか
 にしている。「運命は生まれながら決まっている」などという宿命論的な見方ではなく、「人
 生は自分の努力で切り開くもの」という主体的な生き方を期待したいものだ。例えば、桜内史
 誠著『開運・姓名判断』(西東社)には、「(姓名判断は)生き方まで変えることはできない」
 とあり、「レールを敷くことはできても、走るのはあなた自身です」と書いてある。嶽本龍・
 著『誰でもできる風水術』(山口青旭堂)にも、「いくら術を用いても、あなたが今の自分の
 状況を変えようという意志がなければ開運はままなりません。人生のヒントとして本書のアド
 バイスを利用するというくらいの気持ちが大切」とある。要するに、占いにすっぽり身を委ね
 るような非主体的な生き方はダメということだ。

月の裏側の念写写真  福来博士失敗の巻

  明治の末期から昭和の初めにかけて、念写を得意とする霊媒・三田光一が世間を驚かせた。
 三田の透視能力は幼いころから知られ、長じて行商などで日銭を稼いでいたが、23歳の時に
 上京して「精神修養団」を創立した。後に「帝国自覚会」と改称、三田は自ら会長となって、
 各地で透視能力を演じて人々を驚かせた。
  念写術は日本で開発された心霊現象で、東京帝国大学の福来友吉助教授が、明治の霊能者・
 長尾郁子の透視実験の過程で、未現像の乾板が感光していたことから思いついたものと言われる。
  やがて三田も念写を試みるようになり、人々を前に白昼堂々と実演するスタイルを確立して
 いった。1916年に岐阜県大垣町で開かれた公開実験では「大垣城の念写」に成功したが、
 あらかじめ撮影した写真とのすり替えの疑問は払拭されなかった。日本超心理学会会長を務め
 た小熊虎之助は、その著『心霊現象の科学』において、「三田氏の実験会なるものは、厳密に
 言うと実験会ではない。それはただ、不思議な能力を公衆に観覧させようとする余興会のよう
 なものである。したがって乾板の選択も、吟味も、またその監視も、念写題目の撰択も、また
 透視物の吟味も、少しも学術的、実験的なものではない」と評した。
  翌1917年、福来博士と三田光一の最初の出会いがあった。福来は「精神は空間超越であ
 る」と言い、2枚の乾板をおよそ1メートルほど離して別々に置き、それを(精神空間におい
 て)1枚のものとみなして念写するよう要請した。三田光一は「至誠」の2字を念写すると言
 って精神統一に入り、型通り念写を終えたが、現像してみると何も写っていなかった。
  ところが、3日後、名古屋の実験会場で1ダースの乾板の6枚目に桂太郎首相の念写を試み
 たところ、5枚目と7枚目に「至誠」の文字が別々に写っているではないか。福来博士は「こ
 れは潜在観念による念写だ」と勝手に解釈した。
  普通に考えれば、そうではあるまい。三田は、3日前、福来博士に突然、妙な注文を出され
 たが、「できない」と言えば沽券(こけん)にかかわるので、一も二もなく引き受けはしたも
 のの、当日は当然のことながら失敗に終わった。そこで、3日間で準備を整え、名古屋での念
 写実験の機会を利用して名誉挽回の秘策を弄(ろう)したのではないか。
  福来博士自身も、念写実験がうさん臭い目で見られていることを感じていた。どこかに詐術
 があるのでないかという疑惑は、一向に消えなかった。そこで「地球上では撮りようがないも
 の」を念写させることを思いつき、「月の裏側」の念写を注文した。1931年6月24日の
 ことである。三田は、見事に月の裏側を念写してみせた。
  だが、この実験には本質的な問題があった。そもそも「月の裏側」などだれも見たことがな
 いから、真偽を判定する方法がないのだ。「月の裏側」のようなこけおどしではなく、「福来
 博士の靴の裏側」を念写した方がずっと科学的なのだ。
  三田の詐術は、1918年におこなわれた実験で徹底的に明るみに出された。立会人の本田
 親二氏が乾板のすり替えを監視するため、箱に封印を施しておいたのだが、実際に念写に使わ
 れた乾板ケースを調べると、認印のない、違う製造番号の乾板にすり替えられていた。
  やがて三田は、鹿児島県錦江湾に沈没している琉球の朝貢船に金の延べ棒があることを透視
 し、潜水夫を雇って回収してみせたが、船員が賃金の未払いを訴えたのを受けて金の延べ棒を
 押収して調べたところ、鉛に金メッキした真っ赤な偽物と判明、自作自演のマッチ・ポンプ的
 狂言詐欺が白日の下にさらされてしまった。
  三田に肩入れしていた福来博士も、この事件を機に東大を辞める憂き目にあった。お騒がせ
 でした。

思い込みの危険な罠   面白四字熟語の巻

 「思い込み」は、錯誤の世界への最大の入り口の一つだ。「俺がこの目で見たんだから事実だ」
 といった「経験を絶対化する」思い込み、「あの人が言うことだから正しいに決まってる」と
 いう「肩書や社会的地位や有名度を絶対化する」思い込み‐こうした「思い込み」は、じっく
 りと考えるゆとりをなくさせ、思考の主体性を奪っていく。
  注意すべきは、「思い込み」と「思い入れ」の違いだ。「何が何でもこの問題を解かずにお
 くものか」という強烈な「思い入れ」は必要だ。「思い入れ」は、問題解決への強い意志を作
 り出すエネルギーの源泉であり、対象への強烈な「思い入れ」が持てないようでは、問題解決
 はおぼつかない。
  だが、「解決の方向はこれしかない」といった「思い込み」は危険であり、思考の幅を著し
 く狭め、有効な解決策の発見可能性を少なくしてしまう。
  あるとき、日本青年団協議会の助言者として全国青年問題研究集会に出席した機会に、体育
 大学の知人がこんな話をした。それは、学生に「『腐っても〇〇』の〇〇の中に一文字ずつ入
 れよ」と出題したら珍答があったんだが「安斎先生、何だと思う?」というのだ。日本人の多
 くは、直ちに「腐ってもタイ」と入れる。このスズキ目タイ類の海魚は姿・色・味の三拍子揃
 った「魚の王様」で、めでたいときにはいつでも使われるし、「タイの尾よりイワシの頭」な
 どという諺もある。タイは魚の王様だから、腐ってもタイはタイなのだ。
  ところが、体育大学の学生は「腐っても食う」と答えたというのだ。オウムでは食に対する
 執着心を克服するため、腐ったものも食わせたというから、「腐っても食う」という表現も間
 違いとは言えないかもしれない。このエピソードは、「腐っても〇〇」と聞かれたら考えずに
 「タイ」と答える私の「思い込みによる思考の怠慢」に反省を迫ったのだ。
  では、読者の「思い込み」度をチェックするために、次の4文字熟語を考えてもらおう。
 
次の〇の中に漢字を入れ、意味の通る言葉を完成させなさい。
 (1)一〇千〇、(2)〇肉〇食、(3)一〇〇中、(4)品〇方〇、(5)馬〇〇風、
 (6)〇帯〇話、(7)首〇一〇、(8)酒〇〇子、(9)一〇一〇、(10)〇心〇意、
 (11)〇発〇中、(12)一〇〇命

 (1)は当然「一攫千金」を思いつく人が多かろうが、「一瀉千里」「一日千秋」「一刻千金」
 もあるし、「一冊千円」「一日千歩」だって間違いじゃない。
 (2)は「弱肉強食」が常識的だが、「焼肉定食」「牛肉定食」「鶏肉定食」もある。
 (3)は「一発必中」「一極集中」なら満点だが、「一家心中」「一両日中」「一口最中」もある。
 (4)は「品行方正」が普通だろうが、「品川方面」や「品川方向」だっていい。
 (5)は「馬耳東風」と来るのが一般的だが、「馬場通風」とか「馬場旋風」だってある。
 (6)は「携帯電話」と入れる人が多かろうが、「黒帯秘話」とか「熱帯夜話」もあろう。
 (7)は「首尾一貫」では面白くないが、「首狩一族」となると怖い。
 (8)は「酒呑童子」と入れさせたいだろうが、「酒豪親子」とか「酒井法子」もありうる。
 (9)は「一日一善」「一進一退」「一朝一夕」「一宿一飯」「一期一会」「一汁一菜」
 「一喜一憂」「一夫一婦」「一長一短」などたくさんある。「一月一日」「一枚一円」はどうかな。
 (10)は「誠心誠意」かもしれないが、「内心翻意」なんていうのもあっていい。
 (11)は「百発百中」「一発必中」でいいが、「開発途中」「今発売中」「始発車中」もいい。
 (12)は「一生懸命」「一所懸命」は常識的だが、「一年延命」「一家存命」も通じる。
 せいぜい頭の柔軟体操をして、発想を豊かにしよう。

スプーン曲げ狂想曲   科学者の肩書の巻

  人は権威に弱い。「超能力事件」でも、権威筋の論評が事態の過熱に拍車をかける。1974
 年のユリ・ゲラー「スプーン曲げ騒動」のときもそうだった。当時、S少年が「空中スプーン
 曲げ」で評判になったが、『プレイボーイ』誌は4月2日号で「超能力少年の念力が横尾忠則
 ・水木しげるに乗り移った!」、4月9日号で「小松左京氏も信者になった淳クンの念力現象」
 などの記事を掲載した。4月23日号には「ノーベル賞江崎玲於奈博士が淳クンの《超常現象》
 について重大発言」という記事も現れた。
  人々は、一般に有名人に弱いから、「××学会会長」「××学の権威」「××賞受賞者」「××研
 究所所長」といった「学術的肩書」が重要な意味をもつ。江崎博士のコメントは「私もアメリ
 カでESP(超感覚的知覚)の実験を観察したことがあり、S少年の能力を頭から無視するつ
 もりはない。これを簡単に無視する科学者のやり方には問題がある」というもので、「S君が
 超能力者だ」と認めたわけではないのだが、この程度で十分なのだ。
  ついに5月21日号には「(S少年の)『念力スプーン曲げ』集中実験で、電子工学の権威
 関英男博士がノーベル賞級の大発見!」という大層な記事まで現れた。関氏は、この世には
 1兆分の1センチメートルの素粒子よりもずっと小さい「幽子」という微粒子があり、この
 「幽子」が集まって「幽子情報系」を形成し、これが、人間と人間、人間と物質との通信を受
 け持っているのだと主張した。スプーン曲げは、たとえばS君から放出された「幽子」が、
 スプーンを構成している電子に作用して分子間結合力を弱めたせいだというのだ。透視も、
 「幽子情報系」がユリ・ゲラーと物質の間の情報交換を仲介しているのだと主張した。関氏は、
 この「幽子」の存在を証明する実験を試みて「ガンマー線よりも遥かに波長の短い『プシー線』
 を確認した」という。これが「ノーベル賞級の大発見」の内容だった。もちろん、その後、世
 界のどの科学者も関氏の発見を追認していない。
  その後、S君の「スプーン曲げ」の秘密は、『週刊朝日』のカメラマンのストロボ撮影であ
 っさり暴露されてしまった。何のことはない、S君が投げる直前に床面にスプーンを押し当て
 て「テコの原理」で曲げていたに過ぎなかった。白い塗料をぬったスプーンで実験したのだが
 、撮影後に照明をつけると、S君が座っていた近くの絨毯上にスプーンを押し当てた白い塗料
 の跡が点々とついており、S君もついに告白せざるを得なかった。「ノーベル賞級の大発見」
 とは、恐れ入りやの鬼子母神だ。
  私たちは日々多くの問題に接し、何らかの判断を下しながら暮らしている。そして、自分で
 判断できない場合には、自分が信頼している他者の判断をそのまま受け入れる。「人の意見を
 そのまま取り入れて態度を決める」ことを「準拠」と言うが、「超能力」にも広くそうした行
 動パターンが見られる。
  「超能力」については、科学者の肩書をもった肯定論者の役割が特に重要だ。ユリ・ゲラー
 「スプーン曲げ騒動」のときには、国立電子技術総合研究所室長とか東京電機大学教授などの
 肩書をもつ人々が肯定的な意見を述べ、ブームの拡大に貢献した。19世紀の後半、アメリカ
 の霊媒師ヘンリー・スレイドは「自動書記現象」で一世を風靡したが、ライプツィヒ大学の
 ヨハン・ツェルナー教授はスレイドの技にすっかり幻惑され、『異次元仮説にもとづく超物理
 学』という本まで書いて世間を惑わした。科学者の場合、「相対性理論」や「プシー線」など
 の「学術用語」をちりばめて「箔(はく)をつける」こともできる。
  批判力が十分形成されていない子どもたちの場合には、親・教師・テレビや映画でおなじみ
 のタレントや文化人なども重要な影響力をもつので、無責任な言動は慎むべきだろう。

水子の霊はたたるか    「霊魂不説」の巻

 世の中、「霊」に惑わされている人は少なくない。
 こっくりさん占いの果てに「悪霊」に取り憑(つ)かれた中学生、「心霊手術」に何百万円も
 の金を貢ぐ企業経営者、「霊視」番組に何千万円もの制作費を投じるテレビ局。「水子の背後
 霊が憑いている」などと不気味なことを託宣し、「除霊」と称して高価な商品を売り付けたり
 法外な祈祷(きとう)料を要求する悪徳擬似宗教産業。
  金縛りに悩み、「霊のたたりだ」とノイローゼになる学生。嫁がダウン症の子を産んだとい
 うので、「先祖の霊のたたり」と謗(そし)って、嫁を自殺未遂に追い込んだ親戚筋。知らぬ
 間に居眠り運転でひき逃げ事故を起こし、「怨霊のたたり」に違いないと手記を書く婦人科医。
 これらは、みな、科学が圧倒的優位性を示しているように見える現代社会で起こっている実話
 なのだ。
  実は「水子の霊がたたる」という考え方は、医療技術が進歩し、一部の人々が優生保護法の
 もとで妊娠中絶に安易に走るようになってから広まったものだ。中絶体験者が健康を害したり
 すると、その原因を「水子の霊のたたり」に求め、こうした傾向に一部の宗教家が乗って「水
 子供養」という名の「除霊商法」にとりくむようになった。
  もともと「水子」は仏教の戒名の一つで、「すいじ」と発音されたものだ。月を満たずに死
 んだ子を指す。「みずこ」という発音が一般化したのは「水子供養」が一般化してからで、や
 がて寺に水子地蔵や水子観音が新設されるようになった。昔の民間の風習では、7歳以下の子
 どもはまだ「神の子」で、「人間の子」とは見なされず、したがって、死んでも仏にならない
 と考えられ、葬儀や埋葬も一般の死者とは別の方法でおこなった。
  本来、「神の子」である水子は再び生まれ変わる存在であり、この世で何の罪も犯さずに死
 んだ者なのだから、それが人にたたって病気の原因になるなどということは、もともとの日本
 人の信仰にもなかった考え方だ。水子供養は、1970年ごろから広まっていった、その意味
 では極めて現代的な風習なのだ。
 「霊」とか「霊のたたり」といった話は仏教の教義から出ていると思い込んでいる人が多いが、
 釈迦仏教の本来の立場は「霊魂不説」だ。つまり、仏教は「霊を説かない」のだ。「霊魂不説」
 だから、当然、「霊がたたる」などということは言わない。
  知人の浄土真宗の僧侶が門徒たちに「霊魂不説」の立場を説いたところ、「嫁にいじめられ
 ているので、死んだら化けて出たい。だから、霊は存在しないなどと寂しいことを言わないで」
 と懇願されたという。
  しかし、たとえば、真宗大谷派の難波別院が発行している『南御堂』第372号(1993
 年8月1日発行)は「塵光」という欄で、「お盆の月だから霊に関する行事が蔓延するが、宇
 宙と自然の法の道理からは、霊は生じない。霊は妄想の魔物である。だから仏教は霊魂不説で
 ある」と明確に論じている。
  このように、仏教は、本来、何らかの実体をもつ「霊」の存在を認める立場ではないのだが、
 「輪廻(りんね)転生」の考え方‐「人間は生まれ変わり、死に変わり」という考え方‐が導
 入されてから「輪廻する主体」が必要とされ、それを「霊魂」と見なす立場が生まれたのだ。
  そして、仏教本来の立場とは別に、現在では、宗派によって「霊」に関する見解に多様性が
 見られるようになり、それが各宗派の僧侶の態度や仏教行事のあり方などともかかわって、
 日本人の「霊魂観」に混乱をもたらしているように思われる。

迷信オンパレード    根強い非科学の巻

  日本には「東北」の方角を「鬼門」として忌(い)み嫌う風習が残っている。京都の
 まちには、敷地の東北の角に「鬼門封じ」を施した旧家がある。京の都の東北にある比
 叡山延暦寺は、鬼門封じの寺だ。延暦寺の僧侶も「わが山は花の都の丑寅(うしとら)
 に鬼入る門を塞ぐとぞ聞く」と詠んでいる。
  では、なぜ「東北=鬼門=忌むべき方位」という迷信ができたのだろうか。
  江戸幕府は「比叡山延暦寺」の東京版とも言うべき「東叡山寛永寺」を上野の山に建
 立し、江戸城の鬼門封じとした。
  しかし、もともと江戸幕府を興した徳川家康は鬼門を恐れるような人物ではなかった。
 三代将軍・家光が寛永寺を建てたのは、鬼門封じのためではなく、寛永寺に優れた僧を
 置いて幕府の顧問とするとともに、諸藩の藩主や藩士の教育に役立て、あわせて、皇族
 を座主に招聘(しょうへい)することによって、朝廷との摩擦のクッションとするため
 だったと言われる。
  江戸城の東北に当たる地域は後に柳原町と呼ばれるようになったが、江戸町民は「柳
 原町は江戸城の鬼門に当たるから着物(キモン)を商うのがいい」ということで古着市
 を開くようになった。洒落(しゃれ)以上のものではなかったのだ。
  明治天皇も、東京遷都に際して、「筋違い橋御門は鬼門に当たるから取り壊すべし」
 という側近の忠告に耳を貸さなかった。総じて、明治の初期は、日本の近代化のために
 迷信を克服する機運が芽生えていたが、鬼門の迷信はすぐには克服されなかった。
 1930年9月、東京市参事会は「市長の執務室は鬼門に当たっており、市政を進める
 上で甚だ憂慮すべき事態だ」と、移転を決めた。言うまでもなく、市政停滞の責任は市
 長室が鬼門に当たるからではなく、こんなことをマジに論議して恥じない参事官の体質
 にあったに違いない。首都の議員がこの認識だったから、一般市民の間に迷信が残った
 のも当然だった。
  鬼門の根拠とされたのは、中国の文献『山海經』だ。中国の古い怪奇・空想・説話小
 説とも言うべきもので、ここに鬼門にまつわる話がある。
  中国の東方数万里の海中に度朔山という山があり、そこに枝の長さ3千里という桃の
 木があった。東北に延びた枝の下に門があり、その門を死者の霊魂が出入りしていた。
 死者の霊魂は「鬼」と呼ばれたので、この門は「鬼門」と呼ばれた。天帝はここに二人
 の門番を派遣し、出入りの霊魂(鬼)をチェックさせた。罪のない者は通過を許され、
 生前他人に危害を加えた者は捕らえられて縄でしばられ、弓で射られた上で虎の餌(えさ)
 にされる。
  話としては、日本の『今昔物語』や『宇治拾遺物語』の仏教説教に似ており、生前に
 悪行を重ねると死んでから苦しめられるぞと脅すことによって、勧善懲悪に役立てよう
 というのだろう。『山海經』の説話では「鬼」は「死者の霊魂」であって、日本の「鬼」
 とは違う。
  また、「鬼門」は「死者の霊魂が出入りする門」であって、その方位が「凶」だなど
 とは言っていないのだが、日本に入って、この話は「鬼門迷信」に仕立て上げられてい
 った。鬼門を守る二人の門番の姿は、いろいろな経文の数種類の死後の霊魂(鬼)の姿
 から「怖いとこ取り」をして作られた。
  原作では、門番は鬼を検問する係だったのに、日本に輸入された後は、門番そのもの
 がおどろおどろしい鬼に変身、しかも干支(えと)では「東北」が「丑寅」と表現され
 たため、日本的駄洒落も加わって「牛の角をもち、虎皮の褌(ふんどし)を締めた姿」
 にバージョン・アップして、今日的な鬼の標準形が完成した。『山海經』では「凶方」
 ではなかった東北の門は、日本では、恐ろしい鬼がいる「鬼門」とされ、「鬼門=東北
 =凶方」という公式が成立した。
  江戸時代の識者は「東家の西は西家の東、西家の東は東家の西なり。およそ天地の間
 に何ぞ禍ある方角あらんや」と、ちゃんと見抜いていた。

されどこっくりさん    科学者頑張るの巻

 今でも小・中学校の子どもたちを中心に受け継がれている占い法に「こっくりさん占い」
 がある。ヨーロッパに源流をもつ古い占い法で、日本には1884(明治17)年、伊
 豆半島・下田沖に漂着したアメリカ船の船員によって紹介されたと伝えられる。
  もともとはテーブルに3人が手を乗せ、呪文を唱えて天から神を呼び寄せて伺いを立て
 ると、人間は力を加えているつもりもないのに、勝手にテーブルが脚を上げて神意を伝え
 る占い法だった。
  今では、テーブルではなく、紙に鳥居やハートの絵、「はい・いいえ」「0〜9の数字」
 「アイウエオ50音」などを書いたものを使う。10円玉を鳥居のマークなどの上に置い
 て3人が指をかけるか、あるいは、シャープペンシルを二人が握って鳥居のマークの上に
 位置させるかして神を呼び寄せる。呼び寄せる神の名前も「こっくりさん」とは限らず、
 エンゼルさま、キューピッドさま、守護霊さま、星の王子さま、ラブさま、分身さん、
 キラキラガール、パンダのなっちゃんなど千差万別だ。
  静岡県下では二人の中学生がこっくりさん占いでキツネに取り憑(つ)かれ、校舎の
 3階から転落した。群馬県ではこっくりさんに興じた3人の中学生が「眠り病」に陥った。
 京都でも、中学生がこっくりさんで「悪霊」に取り憑かれ、奇行に走った。受験勉強中の
 心の慰みにこっくりさん占いを試みた熱海の中学生は、両親に見とがめられて中止した結
 果こっくりさんに取り憑かれ、ノイローゼに陥って私に相談の手紙をよこした。浜松の
 27歳の主婦は夫の留守中にこっくりさんを試み、それをきっかけに「短大時代の恋人の
 霊」に取り憑かれて奇行に陥り、精神分裂病発症のきっかけになった。1989年11月
 には、福岡県下の中学生が「集団こっくりさん中毒」にかかり、授業が成立しなくなって
 下校処分にする事件が起きた。ある週刊誌に登場した女流占い師は「動物の低級霊が憑く
 場合もある」と説明した。これらは「科学技術創造路線」を歩む日本で起こっている現実だ。
 しかし、こっくりさんが「霊の祟(たた)り」でも「キツネつき」でも「動物の霊のなせ
 る技」でもないことは、1853年6月30日付の『ザ・タイムズ』紙上でイギリスの科
 学者マイケル・ファラデーが解明済みだ。ファラデーは『ローソクの科学』などの啓蒙書
 で知られる著名な科学者だが、二酸化炭素やアンモニアの液化に成功し、「ファラデーの
 電気分解の法則」など多くの成果を挙げた科学者である。
  ファラデーは「もしもテーブルが神の意向で動くのならテーブルが先に動いているはず
 だし、人間が動かしているのなら手が先に動いているはずだ」と考え、テーブルが先か手
 が先かによって反対向きに振れる「指示器」を開発、テーブルの表面を紙や木やゴムにし
 て何十回も実験した。すると、いつどんな条件で試みても、先に動いているのは「手」で
 あって「テーブル」ではないことが判明した。
  一方、日本でも、明治17年に伊豆半島の下田沖に漂着したアメリカ船の船員がこっく
 りさん占いを日本に紹介してからわずか3年後の明治20年5月2日、浄土真宗東本願寺
 の僧・井上圓了が『妖怪玄談狐狗狸ノ事』を出版して「こっくりさん」を解明し、ファラ
 デーと同じ結論に達した。
  二人が達した結論は、「テーブルに手をかけている人が心の奥底にもつ潜在意識(予期
 意向)を反映して、無意識の筋肉運動(不覚筋動)によってセルフサービスで動かしてい
 るに過ぎない」ということだった。つまり、「こっくりさん占いは超自然力で起こる」と
 いう信念を背景とした一種の自己催眠誘導現象なのだ。
  ファラデーは「このような占いが国民のあいだに流行しているようでは、わが国の教育
 制度はどこか重要な原則において間違っているに違いない」と書いたが、日本の実情を見
 るにつけ、日本の科学教育もどこか重要な原則において欠陥をもっているに違いない。

心霊手術による治療  欲得の危険性の巻

 1996年10月、三重県四日市市で自称「心霊術師」の生川由子(57歳)が逮捕された。
 同容疑者は同年5月から6月にかけて、岐阜県多治見市のホテルなどを舞台に、名古屋市内
 の会社役員ら4人に対し「がんを治す」などと称して30〜50回にわたって「心霊手術」
 を施し、1回3万円、合計90万円〜150万円をだまし取ったらしい。
  直腸がんの手術を受けた61歳の会社役員は、術後経過が不調で、転移の不安もぬぐいき
 れなかった。知人の紹介で生川容疑者のもとにおもむくと「転移している」と言われ、
 合計50回にもおよぶ「心霊治療」を受けた。事件が明るみに出たきっかけは、この患者の
 妻が心配して警察に相談したためだった。同様に、「胃と腸のポリープが3年でがんになる」
 といわれ、30回通った55歳の会社役員もいた。
  生川容疑者は「フィリピンの有名な心霊術師の弟子」を名乗り、10年ほど前からフィリ
 ピンで約1000人の患者を診療、1996年にはフィリピンやドイツに「心霊治療ツアー」
 をおこなった。逮捕前の1年だけで約300人から数千万円の収入を得ていたという。
  愛知県警の調べによると、生川容疑者は、1995年9月ごろから四日市市の自宅に
 「日本神霊学会」という名の治療院を開き、三重県・岐阜県・京都府・福島県下のホテル
 に患者を集めて「心霊手術」を施していた。同容疑者は、患者獲得のために「残されたた
 だ一つの選択」というPRビデオを利用していたが、そのビデオは生川容疑者のフィリピ
 ンの治療施設「名古屋イン」を取材する形式で構成されており、「病気に侵された部分を
 指だけで体外に排出する」「治癒率は80%をこえる」などと説明、患者の腹部に手を当
 てて体内から病巣を取り出したように見せるシーンを写している。さらに「胃がんになる
 と言われたが、気分がすっきりして吐き気が治った」「がんだったが、楽になった」とい
 った患者の「喜びの声」が紹介され、医師を名乗る人物が「心霊手術」をほめたたえる場
 面もあった。愛知県警は60巻のテープを押収し、プロの奇術師に分析を依頼、病巣を取
 り出す部分は簡単なトリックにすぎないことを確認。さらに、「がんで医師に見離された
 患者」としてビデオに登場する患者は、実際にはがんではなかったことも確認された。
  「手術」は、上半身を裸にした患者の腹部に素手を当て、しばらくもんだ後に血の塊を
 取り出す形でおこなわれる。この血の塊は、ブタの血液を脱脂綿にしみこませ、鳥の皮で
 包んでゴルフ・ボール大に調製したもので、あらかじめ施術台の下に仕込んでおき、タイ
 ミングを見計らって手に隠し持つのだ。「パーミング」とよばれる手品の手法だ。手をも
 みながら「患部」に押しつけると、脱脂綿のブタの血がしみだし、まるで体内の血液がし
 み出してきたように見える。これに続いて鳥の皮や肉片を取り出し、「病巣除去」を演出
 する。生川容疑者の手さばきはなかなかのもので、逮捕のきっかけとなった4人の被害者
 も「だまされていた」という認識をまったくもっていなかった。逮捕当日も生川容疑者は
 三重県内のホテルの1室で14人を対象に「心霊手術」を施していたが、これらの人びと
 は、現場に入った捜査員が施術台下のブタの血液などを仕込んだタネを教えるまでは
 「だまされていた」という認識をもっていなかった。
  生川容疑者のビデオには「(手術の)血液を調べたら、人間の血でない場合もある」
 「マジック、いんちきでも、がん患者が治ったことは事実」など、血液鑑定などによる
 批判をかわすための逃げ道ともいうべき場面も収録されていた。実際、生川容疑者は、
「ブタの血を用いるのは患者を信じさせて、治療効果をあげるための演出」と釈明している。
  がんの不安、「切らずに治したい」という欲望、根拠のない「霊能」へのこだわり
‐こうした「不安と欲得と非科学の結びつき」こそオカルトがはびこる原因にほかならない。

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